山形県酒田市両羽町で営業する「齋藤勇治建具店」社屋。
当社の約110年に渡る歴史にふれる「齋藤勇治建具店の歴史 」シリーズ。大嘗祭(だいじょうさい)のための建具製作から完成までを綴る第4章となります。
1989年(昭和64年)1月に昭和天皇が崩御され、元号が昭和から平成に代わりました。電力供給の普及や、木工機械の導入により仕事ぶりは大きく変わっていく中、熟練の手仕事を携えた建具職人たちの元に 翌年11月に行われる大嘗祭(だいじょうさい、天皇即位後に初めて行う新嘗祭。皇位継承に伴い一代に一度だけある重要な儀式)のために建設される社殿に使われる建具の製作依頼が舞い込みました。
主基殿(すきでん)の建具(折戸扉)製作風景。全て職人による手作業で進められる。
困難を極める主基殿の建具製作、職人たちの意地と執念
宮内庁立会いの元行われた受注前検査が終わり、ついにその製作が始まりました。製作するのは主基殿正面に取り付けられる折戸扉や黒木灯籠などで、その全てが職人による手作業で行われました。一般住宅建具に精通した職人達ではありましたが、社殿に用いられる建具全ては伝統的な工法を必要とするため、その製作は困難を極めました。
例えば丸太同士の接合部は1本1本彫刻刀を使って削り出すなど、その特殊な工法には膨大な時間と緻密な技術が必要でした。そのため納得の出来に至るまでには、何度となく失敗や作り直しを繰り返し、職人達の意地と執念の集大成とも言える過酷な作業が連日連夜続けられたのです。
高度な技術と特殊な工法が求められた主基殿(すきでん)の建具製作は連日連夜続けられた。
苦難の末、建具が完成、皇居での組み立て作業へ
そして苦難の末、自社工場で続けられていた建具制作をどうにか予定通りの期日まで完了させ、1990年(平成2年)10月、その建具を現地(皇居)に運び込んでの組み立て作業を行うため、山形県〜東京都間を運搬。なお、社会情勢的に反社会勢力などから妨害を受ける危険性も十分考えられたため、その運搬は極秘で行われました。
そして、10月20日〜22日の3日間に渡り現地での組み立て作業、取り付け作業を行い無事完了。ついに主基殿の建具造営の大仕事をやり果たすこととなりました。
宮内庁の方々も見守る中現地での組み立て作業が行われた。
完成した主基殿正面の折戸扉。
背面から見た主基殿。当社施工の黒木灯籠や雨儀御廊下が見える。
当社で保管している造営記念品として宮内庁より贈られた菊紋入りの盃。
苦難の末、建具が完成、皇居での組み立て作業へ
無事大仕事をやり果たした職人達の手元には、記念品である菊紋が施された特注の盃が贈呈されました。
それから35年の月日が流れ、当時代表を務めた2代目齋藤勇治から、3代目齋藤優晴、そして現代表の齋藤晴紀へと受け継がれ、創業から110年が経とうとしております。
北前文化を誇り、料亭が立ち並ぶ最盛期の山形県酒田市、その町の小さな建具屋から始まった当社の歴史。その歴史は、無数の建具を丹精を込めてこの世に生み出し続けてきた職人たちの歴史とも言えます。
110年の歳月の中で人々に求められる建具の価値は大きく変わったかもしれません。
ただ、職人たちの手によって作られた、世界に一つだけの建具の価値。
それをお客様一人一人にお届けするという当社の使命は、当時も今も全く変わっていないということをこの「齋藤勇治建具店の歴史」シリーズから感じていただけたら幸いです。
〜完〜