山形県酒田市両羽町で営業する「齋藤勇治建具店」社屋。
今回は「齋藤勇治建具店の歴史 」シリーズ第2章として、当社の約110年に渡る歴史にふれていきます。
1915年(大正4年)に山形県酒田市で創業し、料亭文化が色濃く残る「上台町」で町の建具屋として55年にわたり自宅兼工場として営業しました。
そして、1969年(昭和44年)、当時「酒田木工団地」として木材利用工場の誘致を行っていた現在の所在地にあたる「酒田市両羽町」に移転することとなりました。
上台町で営業していた当時の作業風景。
酒田木工団地への移転、木工機械を駆使した技術へ
長きに渡り建具屋を営んだ場所から酒田木工団地に移転、電力の確保が可能になったことで、職人たちの手作業や、人力による運搬などが主だった建具屋の仕事は木工機械の導入によりどんどんと変化していきました。
のこぎりで手切りしていた材木のカットは電動のこぎりへと、木材を削るカンナも電動へ、材木同士を組み合わせるほぞの加工も木工機械の使用により生産性が大幅に向上しました。
平成初頭の工場で作業風景。職人たちが後述の昭和天皇に奉納する建具を製作する様子。
欠くことのできない手仕事の価値、そして転機へ
木工機械の導入により一変した建具屋の仕事ですが、それはあくまで「大まかな作業を機械に任せ、生産速度を上げる」ために過ぎず、建具の出来を大きく左右する正確無比な仕上げや組み立てなど、職人たちの手仕事の価値が失われることはありませんでした。
木工団地への移転の翌年、2代目齋藤勇治が「齋藤勇治建具店」として法人化
そして生産性は向上の一途を辿り、建具の生産量も年々増加していく中、時代はバブル景気渦巻く平成へと移っていきました。そんな時、熟練の技術を携えた建具職人たちの元に当社最大の転機となるオファーが舞い込んだのでした。
〜第3章に続く〜