齋藤勇治建具店の歴史 〜第1章〜

 

 今回は「齋藤勇治建具店の歴史 」シリーズとして、弊社の約110年に渡る歴史にふれていきます。

 齋藤勇治建具店の創業は1915年(大正4年)に遡ります。かつて北前船の寄港地として日本の中心と言われるほど繁栄した湊町・山形県酒田市。

かつて日本有数の湊町だった「山形県酒田市」

 江戸時代には、酒田をはじめとする日本海の港や北海道の港から江戸や大阪に、米や魚、特産物などが船で運ばれていました。江戸の商人・河村瑞賢が整備したとされるその航路は「西廻り航路」と呼ばれ、その航路を走る「北前船」は当時の経済を大きく支える存在でした。

 そして酒田の街には多数の商人が降り立ち、たくさんのお金、モノ、文化を運び込むことで日本有数の湊町として栄えていきました。

1915年(大正4年)に酒田市上台町(現・日吉町)の地で創業

湊町としての繁栄が色濃く残る中、時代は明治に移り、東京〜青森間の東北本線が全通。交通網や通信手段の発達により北前船はその役目を終えることとなりましたが、酒田の街の活気が衰えることはありませんでした。

1914年(大正3年)には陸羽横断鉄道酒田線が開通。酒田駅が落成となりました。その翌年1915年(大正4年)、1代目齋藤久治が酒田市上台町(現・日吉町)の地で齋藤勇治建具店の前身となる建具店を創業しました。

料亭が立ち並ぶ上台町で「町の建具屋」として奔走する日々

民家や料亭が軒を連ね、芸者たちが行き交う料亭文化が色濃く残る「上台町」の地で、それから55年にわたり自宅兼工場として営業を続けました。数人の住み込みの職人達と協力しながら、当時の住宅には必要不可欠だった障子や襖(ふすま)など、町の建具屋として多くの製造、修理を行ってきました。

また当時は掛け軸や襖に絵を描く「表具屋」や、建具に漆を塗る「塗師(ぬるし)」など、今ではほぼ見かけなくなった職人達が活躍していた時代であり、建築の中心を担う大工とそれぞれの職人が連携して一軒の家を立てる図式が一般的でした。自動車がまだ普及していなかったため、材木などの運搬は主に馬車やリヤカーで行っていました。

1969年(昭和44年)、木材加工の世界にも機械化の波が押し寄せ、動力の確保や、近隣への干渉などの問題を受け、当時「酒田木工団地」として木材利用工場の誘致を行っていた現在の所在地にあたる「酒田市両羽町」に移転することとなりました。

 〜第2章に続く〜